通勤路の街路樹は桜だ。
今の季節、精一杯咲き誇ってくれる。

桜を見上げる時、足元を見ながら歩いている時とは違い、自然と背筋が伸びている事に気付く。
春。 誰もが「よし!」と今一度自分の姿勢を見つめ直すのは桜の影響かもしれない。

散り際はまた言いようのない切なさを感じるが、先日新聞を見ていて驚いた。

批評家の小林秀雄氏曰く「あれは散っているのではない。散らしているのだ」「何という注意と努力」と。
また、創価学会名誉会長の池田大作氏曰く「花は散ったのではなく、盛りの命が溢れたのだ」「全力で咲かせた命の華を大地に贈るのだ」と。

この観察力はすごく新鮮でもあり、驚愕だった。
その花の「死に際」でさえも次なる生への躍動に変えて行く。
素晴らしい価値観だと思う。