寺社・仏閣

結論を先に言うと、「本尊雑乱」が全ての元凶。


新年明け始めの頃にこんな事を書くのは喧嘩を売っているとしか思えないのだが…

寺社・仏閣。日本中たくさんある。
今日、春日大社とかいう神社に隣の何とかというお寺の坊主が参拝に来たとか……

ご利益も倍に……  なるかっ!!!


はっきり言うが、生まれた時に、神さんに参り、初詣でお寺に行く。
結婚式を教会で行い、死ぬ時はまたお寺……。

これで、一生安泰などどう考えても納得がいかない。
僕があまりにも不完全な人間かもしれないが、自分が神社に祭られている神様と仮定してみよう。

生まれた赤子が参拝にきた。 まぁ、ここはいい。しかし、初詣と言っては他の寺や神社に行く。
僕ならこの時点で守ってやろうなど思わない。願いを叶えてやろうとは思わない。

何か困った時だけ援助を求めてきて、困っていない時は知らんフリをする様な後輩がいたら、自分は先輩としてその後輩を緊急時に助けてやろうと。 全力で助けてやろうと思うだろうか?
僕の答えはNOである。

神様や仏様はお前と違って無慈悲じゃない。という事を言われた事もある。
現に、昔友達に言われた。
僕はその時、「じゃあ、自分達人間は身勝手だけど、神様や仏様は違うのか?」と。
そいつは「違うから神様とか仏様だろう?」と言ってきた。
僕は「そんな身勝手な人間を現実的に考えて、周りの連中が助けようと思うのか?」と。
友達は「それは屁理屈だ」と言う。
僕は「現実は色々な人間関係が色々ある。 神様だから、仏様だからって自分中心の考えで判断する様な人間を心底助けてくれる人間はいないと思う。 相手を決め付ける人間は相手からも決め付けられる」と言った記憶がある。


僕はよく「接客業ではお客様は神様だという。だけど、神の中には邪神もいる」と言う。

鬼子母神。これは安産の神と言う。しかし実態は、自身の子供がかわいいが為に、他人の子供を盗んでは食べる悪鬼である。釈迦は鬼子母神の子を隠し、鬼子母神はその時、初めて我が子を奪われる苦しさを知り、釈迦に詫びるのだ。 そして、「法華経を守護する者を我は守護する」という誓いを立て、釈迦に子供を返してもらう。

色々な経典を見れば、明確になってくる。
鬼子母神を礼拝しても何もならないのだ。なぜなら、彼女は「法華経を守護する者を守る」と誓っているのだから。 薬王菩薩も、普賢菩薩も。 それ単体を礼拝しても何もならない。
まして、教会とかの海外の宗教まで入っているのが日本だ。

海外に比べて日本がいかに宗教後進国かもわかる。

根本として尊敬すべきものを「本尊」という。 これが雑多であり、乱れきっている。
ゆえに「本尊雑乱」が元凶と言える。 結果として見えてくるのは「坊主丸儲け」という言葉だ。

そう思うと、一番賢いのはフード付きの服を着て最前列で長時間立っている初詣客が利口だ(笑)


「助けてくれない神様」なんていないのだ。
「神様は助けてくれる」という決め付けから起きている考えなのだから。その時点で思い違いをしている。
エゴもあれば純粋な所もある。それが人間であり、それでいいと思う。

ただ、自らの思い違いをしている人間のいかに多い事か…という点については残念でならない…