指導と相談


前者は解決への道を共に探り、または示し、歩かせる事。
後者は浅くはただ聞くこと。 深くは解決への道を共に探る事。

背中を押す事は相談では無いと思う。
話しを聞いてくれるだけでいい事もある。けれど、やはり十人十色と言うように、人それぞれ考え方は違う。僕は人から何か悩み事を相談された場合、必ず聞くだけでは終わらない。


「黙って見守る」事が出来ないのだ。
それは親が、挑戦しようとしている子供に対してする事だ。


大人が大人に対してするのは失礼なのではないかと僕は思う。 相手は、その重さに耐えかねてしまったのか、それとも僕を信じてなのかは分からないけど、悩みを打ち明けてくれたのだ。
何か力になってあげたい。 その重さを少しでも軽くしてやりたい。

その為に示す道は相談では無いと思う。だからあえて「指導」と呼ぶ。
指導は上から下へする事では無い。

経験した者が、経験をしていない者に「こういう考え方がある」「こういうやり方がある」「こうしてみてはどうか?」と道を示す事だ。 だから、自分より若くとも、ある分野で自分より技術があれば教わる。それだけだ。

相談事で指導と言うと「偉そうだ」と言われるが、考え方や、捉え方も一つの「技術」だ。


苦しい胸の内を聞いてもらいたいだけなら、口の固い人間を探して、話せばよい。
だが、解決手段を求めてする相談は指導と思う。その相談内容に的確に答えられる、つまりその相談内容に詳しいか、同等の経験をした事がある人で口の固い人間にする事だ。


サッカー選手はサッカーの技術は教えられるが、野球の技術は教えられない。同じだ。恋人のいない人間に恋人の相談をしても無駄だ。喧嘩のしないカップルに恋人との仲直りの方法を聞いてもあまり役に立たない。


誰にどんな内容の相談をするかで、解決をする気があるかわかる。


ちなみに僕はAB型なので、話しは熱心に聞くけど、相手の気持ちを考えずに正論をぶつける…
とMタロー君の持っている本には書いてあった。
まぁ、上記の事を読んだ人は僕に相談なんかしないだろうな…